【毒親育ち】亡くなった毒親、母親のことを思い出してみた

この記事は約4分で読めます。


毒親が亡くなったと聞いて、
「ああ来たかー」と思った。
泣いた妹の声を聞いて一緒に泣いて。



気がつけば母のことを思い出していた。
聞いていた音楽とか。
好んでいた絵とか。



せっかくだから、ブログに
吐き出していこうと思います。


スポンサーリンク

聞いていた音楽を思い出すと、あの人は強いオンナに憧れてたんだなって



どーもどーも!
意外と記憶に染み付いていることがある。
マイ(@iamxxxgv)です。




いろいろ思い出してみました。
子どもの頃寝る時に聞いていた子守唄。
なんだか価値がよくわからない絵。
母親の好みが理解できなかった音楽。



ということで書いていきますか!



寝る時に歌ってたのは『ゆりかごのうた』




Google先生は優秀ですね。
歌詞の一部を入れれば、
「これかい??」って
該当の歌を教えてくれる・・・!
ほんと天才☆



子どものころ、寝る時に歌ってたのは
『ゆりかごのうた』でした。
母はちょっと替え歌して
「いい子でいい子でねんね~♪」って
歌ってましたね。



当時の私にはそれが洗脳のように聴こえて、
正直嫌いでした。
なんなら今も嫌いです☆



突然買ってきた大きな絵はグスタフ・クリムトが描いた『接吻』

引用:オーストラリア絵画館



ある日、母が大きな絵を買ってきました。
絶対不相応な絵。
今の私達の家計では絶対に不要なモノ。



それをニコニコしながら買ってきた。
調べてみたら、グスタフ・クリムトさんが描いた
『接吻』という絵だった。



女性が「キスを待ってました!」と
言わんばかりの表情の絵。
小さい子どもでも分かる。
これは幸せを描いた絵だ。



うちの家にはないものだった。
突然やってきたこの絵を、
私は好きになることができなかった。



無理やり押し付けられた形のない幸せ。
この機能不全家族で見栄を張るためだけの絵。




作者さんに失礼だ、といつも思ってました。
今見かけても、ちょっと複雑な気持ちになります。
絵に罪は無いのになぁ・・・



よく聞いている音楽は山口百恵さんと髙橋真梨子さんだった




母はよく髙橋真梨子さんの
「ジョニィへの伝言」を聞いていました。



また、山口百恵さんもよく聞いていた。






特に『プレイバックpart2』はよく聞いてたね~
幼いながら口ずさむことはできるぐらい
聞かされていた気がします。



聞いていた曲から分かることは、
母は強いオンナに憧れていたんだと思います。



男にも頼らない、自分の足で立てる
強いオンナ。
未練たらたらではなく、すっぱり切っていくような。
かっこいい車を運転して、
気ままに生きつつも、
恋愛にも熱を入れている。




そんな感じの人になりたかったんだね。
そういう風になろうと、まぁ頑張ってたもんね。
結局は自分のクビ締めてたっぽいけど。



山口百恵さんや髙橋真梨子さんに罪はないのですが、
毒親の元にいた頃を思い出すので、
積極的に聴くことはしないです・・・



だけどね、これだけは好き。






『いい日旅立ち』
これだけは好きだったな笑
なんでだろう、親のイメージよりも
旅行のCMソングのイメージが強いからかな?



『いい日旅立ち』は
今でも時々カラオケで歌いますね笑




スポンサーリンク

まとめ:記憶からたどる母、あの人も理想を追いかけて必死だったのかもね




今にして思えば・・・
あの人も自分の夢を少なからず叶えようとして
必死だったのかもしれません。




強くてしなやかな女性になる。
音楽で聞いていた女性たちのように。



そのために・・・
まぁ過干渉だったり、子どもを毒してきたり、
不相応な絵を買ったり、
子どもをアクセサリーのように使ったり。



あの手この手だったんだろうね。
子どもの頃は分からなかったけど。
どうして私と妹を大事にしてくれないの、と。



結局、親も一人の人間だった。
いろんなことがやりたかったけど、
見栄を張るために結婚しちゃって、
出産しちゃったもんだから、
好きなようにできなかったんでしょうね。



だからと言って・・・
子どもをアクセサリーのように使うのは
どうかと思いますよ。
その点に関しては許しませんのでね☆。



真に望まない出産は・・・
結局子どもを愛することなんて
できないもんなのかもね。




あーあ、親ガチャ外れだな、俺たちw
こっから上げていこうぜ☆



というわけで今日は終わり☆



written by マイ(@iamxxxgv

タイトルとURLをコピーしました