血の繋がりだけで何でもかんでも対処させるのはおかしいんじゃないっていう件

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先日、実家の母が亡くなりました。





それを通じてというか、
いや結構前から思ってたけど、
血が繋がっているからって
何でもかんでも対処させるのは、
もうどうかと思うんですよ。




実の親だとしても、
親として機能していないこともあるんだから。



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「血が繋がっていなくても家族」が成り立つなら、『血が繋がっていても家族じゃない』も成り立つだろ?



どーもどーも。
与えられた価値観を疑っていく・・・!
マイ(@iamxxxgv)です!





薄々気づいていたんですが・・
この国はこの世界は、
血縁関係だからって
色々背負わせすぎではないでしょうか? 




親が病気になったらその面倒は子どもがみる。
介護が必要になったら子どもがする。
認知症になったら子どもが手助けする。



とにかく何かあった人の
二親等内の血縁者が
面倒見なきゃならない。
看取らなきゃいけない。
遺品を片さないといけない。




なんでなん?



確かに。
親が親として役目を果たしていたのなら、
最後まで面倒をみようって気になるだろう。
大事な親なのだから。



だけど、毒親はどうだろうか。



子ども達を支配し、過干渉してきて、
奴隷のように扱い、アクセサリーのように扱い、
子どもを子どもとして扱ってこなかった
毒親に対してはどうでしょうか?



正直に言おう、めんどくさい。嫌です。
自分の価値観や人生めちゃくちゃにした毒親を。
どうして面倒見なきゃならん、
死にものぐるいで逃げてきたのに。
抜け出してきたのに。




世の中には、
「血の繋がりはないけど、家族」という
言葉がある。




だったら、その反証、
「血の繋がりはあるけど、家族ではない」
成り立つと思うんです。
いや、成り立つね。



毒親育ちのマイは、
家族だからと言って、
血縁者だからと言って、
その人を介護したり看取る責任は
ないと思っています。




あくまで人間は、個人。
最終的には一人。
その人の意思で介護やなんやら
やるかやらないか決めていい。




「血縁者だから・・・」という理由で
自分の意思を殺して面倒を見る必要な無い。



毒親の死に立ち会わず、
なんと言われても実家に戻らなかった。
マイが言うんだから間違いないです←


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まとめ:あくまで自分がどうしたいか、これを優先してください。


世の中の風潮はすぐには変わらない。
ここで私がピーピー叫んだところで、
そう簡単には変わらないですよ。



だけど個人の考え方ならすぐに変えられる。
自分が変わればいいわけです。




世界は、この国は、世の中は
血縁者に押し付けてくるだろう。
血が繋がっているんだから、と。
家族なんだから、と。



その言葉に違和感を感じたり、
嫌悪感を感じるならば、
はっきりと断っていい。
「私・俺はお断りです」と。




自分がどうしたいか、この気持ちを
優先させてください。
特に、毒親育ちはね。



今の世の中は多様性が認められてて、
だいぶ言いやすくなっていると思うよ、
自分のほんとうの気持ちを、どうしたいかを。



言っていきましょう。
だってこれは私・俺の人生なんだから。
楽しまないと損だよ!




はい、今日はおしまい!



written by マイ(@iamxxxgv

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