親が「好き」という感情も「嫌い」という感情も、全部受け止めてやるぜって話

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これもまた気づき。
自分の中に、ココロの奥底、
よくよく探してみたらいた。



わたしは親のことが「好き」だった
確かに「好き」と思っていた瞬間があった。



例えば・・・
本当に最古の記憶だと思うんだけど、
両親に手を引かれて
ディズニーランドに行ったこと。




時々ながらも家族で外食に行ったこと。
ピアノを習わせてくれたこと。
セーラームーンごっこさせてくれたこと。
うさぎちゃんみたく髪をツインテにしてくれたこと。



「好き」だったんです、ええ確かに。



時が過ぎ、わたしが成長し、
社会と自分の家の異常さを知った時、
わたしは親が「嫌い」になった。




離婚をしてから・・・
子どもとして振る舞うことを禁じられたし、
ポケモン取り上げられたし、
何を言っても認めてもらえないし、
友人と遊ぶことも許されない、
見た目ばかり整えるように言われ続けた。
わたしに完璧であることを強要した。



離れていった父親も
とんでもない見栄っ張りで
アルコール中毒で借金抱えてて・・・



両親どっちも
とんでもない見栄っ張りの
意地っ張りの世間体ばっかり気にしいで。




そのせいでわたしの思考回路や
固定観念までも毒されて、
生きにくくなって・・・




「お前らふざけるなよ!!!!!」




怒りと憎しみと許せない思いでいっぱいでした。
親のせいでこんなに苦しい、
親に与えられた教育・価値観で苦しい、
親との接し方が不健全だったから苦しい。



お前らのせいで、わたしこんなに苦しい。



こう考えたらさ、
親が嫌いになるのも当然じゃない?
許せないって思うのも、
憎いって思うのも当然。



ここで燃えたぎる怒りと、
得ることができなかった安全感、
無償の愛、褒められる言葉などへの
機能健全な家庭であれば当たり前なことが
与えられなかったことに嘆き・・・



これでもかってくらい泣いて泣いて
今まで一人で家で泣いたことなんてないのに。
2日に1回とかのペースで
ぎゃんぎゃん泣いて。



そしてまた気がつくのだ。
親もまた、機能不健全な家庭で育ち、
そういう接し方しか知らなかったってことを。





根本的な原因を正そうとしたら、
日本の風潮とかそういう影響とかも
考慮しなきゃいけなくて・・
とんでもなく範囲が広すぎるから、
できる範囲である自分が、
不健全な接し方を止めていくしかない
と知るわけで。



親を恨んでも何も変わらんから、
生産的な方でもある
自分を変える方がいい。

痛いけど、自分と向き合った方がいい。



と、まぁ・・・
「親が嫌いだ」という感情から、
いろいろ本を読んで分析して、
嘆いて、泣いて、落ち込んで、
自分の抑え込んだ感情を拾い集めて、
「自分で自分と向き合わないと」と決意した、
この時点にいるわけなのですが・・





遠回りしてるけど、
親のことは好きでした
ええ、小さい頃は。



でも大嫌いです、
だってわたしのこと
安物のアクセサリー扱いなんだもん。



この気持ちが共存することを
受け止めてやります。




人ってそういうもんじゃないかと。
何につけてもさ。



あの人のこの部分は嫌いだけど、
この部分はとても頼りになって好き、とか。
あるじゃんね。



ニンゲンだから完璧ではない、
不完全な部分とか未熟な部分とか、
好き嫌いあって当然なわけだ。



だって今でも、
小さい頃のわたしは、
「お母さん!こっち見てよ!」って
必死で声を上げているんだから。
大好きだったんだよ、うん。



だから受け入れます。
受け止めてやります。

それがわたしだ、と。
今までよく頑張ったね、と。



今まで気持ちと感情を殺してて
申し訳ない、ごめんね、と。




こういうふうに思ったら、
また少し気持ちが楽になりました。
カラダが軽くなった感じ。
ココロもふんわりな感じ。



ふんわりしているとしても、
トラウマのフラッシュバックは
まだ続くだろう・・
完全に振り切れたわけじゃないし、
「受け止めてやるぜ!」って決めたばかりだから。




また落ち込んだり、
毒吐きだしたり、
ぎゃんぎゃん泣いたり、
嘆いたりするでしょうね。
それがニンゲンなんでしょう。



何度もいうが、
3歩進んで2歩下がる。

こんな感じで自分なりに
自分と向き合っていきます。ええ。





またちょっとだけ大きく一歩を踏み込んだ
2022年10月18日。
いい加減右手の小指が痛いので
整形外科に行こうと決意した今日このごろ(笑)



ではおしまい☆
ありがとうございました!



written by マイ(@iamxxxgv

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