人と話すことすらしんどいのって今までずっと自分の話を受け止めてもらえなかったからかもしれない

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今朝筋トレして、
朝ごはん食べてぼーっとしてた時に
気がついたこと。



人に話すことすら、
人に会うことすら、
なんなら人が嫌いな理由って、
今まで自分をそのまま受け止めてもらったことが
ないからかもしれない。




※あくまでマイの場合は、なので、
人によっては「いや違うなぁ」と
感じることもあると思います。
予めご了承ください。





人とちょっとしたことを
話す”ことすら”苦痛なのだ。
あいさつくらいは良いにしても、
雑談とか、仕事の愚痴とか、
なんなら病院で自分の症状話すのも、
カウンセリングで自分のことを話すのも。



人に頼るべきところで
”話すのが嫌、怖い”が出てきて、
結局一人で抱え込んでしまう。
その方が痛くないし、ラク、だから。



この根底にあるのは、
いくら自分が話しても
相手はわたしの話を聞いてはくれない、
受け止めてはくれない
、という経験が
あまりにも多すぎることだ。



**
<過去の体験>
親がそもそも自分の話を聞いてくれない、聞いても「他の人はもっと大変」、「お母さんの方がもっと大変」とマウントをとられ、受け入れてもらったことがない
・同級生も話を聞いてくれない。自分が聞き役に徹していたこともあるだろうが、こちらが話そうとすると、相手の話に切り替えられて、常に話がそらされてしまう
・身近にいた人たちも話なんか聞いてくれない、「マイはいい子だからね~なんでもできるね~」のレッテルが貼られ、そもそも手をかけようなんて思われたことがなかった

→これらの経験から、「わたしは話を聞いてもらえない存在」、「話を聞いてあげないと生きていけない」、「話を聞いてあげないと価値がない」と強く思い込む。

<自分の思い>
・とりあえずわたしの話を聞いて共感してほしかった
・他者と比べないでわたしのことをみてほしかった
・確かに同世代の子よりも家事やらなんやらやってたけど、わたしも一人の子どもだったことを受け入れてほしかった
**




もしかしたら・・
受け入れてくれた人もいたかもしれない。
だけどそれが霞んで思い出せないほど、
”受け入れてもらえなかった”こと
”自分の話を聞いてもらえなかった”こと
多すぎる。上書きされてしまっているわけ。



そして思い込みも強すぎて。
「自分は話を聞いてもらえない存在」、と。
だから能動的に話そうともしなかった。



こういう経緯が積み重なって、
”人と話すことすらめんどくさい、嫌い”っていう状態に
なっているんだな、と感じるのです。






自分の態度や行動・言動的に
「あ、こいつ話聞いてくれるわ」って思わせてしまって、
そういう人が寄ってきた可能性もある。
だから自分のせいでもある。
特に大人になってからは、ね。



根本原因は生活環境だったとはいえ、
自分の行動のせいでもあるわけで。



まぁ仕方ないよね、と思っておきます。
これ以上追求するとしんどいから(笑)



で、このことに気がついて思ったこと。
人に話すなら人を選ぶこと、
そして話すことにお金をかけていい、と思いました。




カウンセラーさんや専門の人であれば、
基本傾聴してくれるので、
否定されることもマウントされることもない。




よくわからんその辺の人に
手当たり次第話しかけて落ち込むよりも、
お金払って安心して話せたほうが
個人的にはメリットが大きい。



だったら、カウンセリングを受けてみよう。
そう思いました。
まぁ最初の一歩を踏み出すのが大変なんだけど。



いろんなサービスあるし、
なんならメールとかでもいいのかな、と思います。
ちょっと探してみよう。



別に人が嫌いなままでいい。
無理に好きにならなくて良い。
ただそっと見守ってくれる人を
大事にしたいと思うのです。



そんな感じで・・・
ああちょっとすっきりした✩



では今日はここまでです!
ありがとうございました!



written by マイ(@iamxxxgv
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