わたしは十分に親孝行したので、もう好き勝手自由に生きて良しとする

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ぼーーーっと歩きながら思ったこと。
地元にいた頃の人生ってなんだったんだろう」、と。

母の機嫌を伺い、母の望むように動き・生きて。
周りの人に合わせて。
何なら学校でも先生と同級生の機嫌を伺って。
自分の好きなことも全部全部抑圧して。
我慢ばかりで何も報われることがなかったあの頃。

ただただ辛い毎日。
色のない、真っ黒の世界。

あの時代は、”早めの親孝行”だったんだと決定づけます。



親の望むいい子を演じ続けました。
親が誇れる娘であれるよう頑張ってました。
やりたいことも、好きなことも封じ込めて、
親の前ではださないようにして。
言うことを聞いているようにして。

それって多分、「親に笑顔でいてほしい」っていう
子供の純粋な願いだったはずです。

子供ってそんな深く考えないし、純粋な存在だしね。

だとしたら、あれだけの理不尽に耐えてたのは、
”早めの親孝行”だったんだと思います。
やってたことはだいぶ歪んでいますが(笑)

あの生活を乗り越えた原動力は
母親への愛でしょう。
憎い気持ちも、嫌いな気持ちもあるけれど、
根本を支えていたのは”愛”だったと思います。

だって子供って親が大好きですから。



人間の根本にあるのは”愛”。
いきなりなにスピってんだって思うけど、
そういうもんなんです。
大元からやってきた地球にやってきた私達は、
大きなラブが溢れているし、
存在も祝福されているもんなんです。
これはいろいろ本を読んだり、
ブログを読んだりして
自分なりに納得したこと。

だとしたら、純粋な気持ちで
母を喜ばせようと頑張ってたんでしょう。
理不尽にも耐え、母の望む基準に自分を持っていき、
母が望む娘であり続けた。

こんなに頑張ったんなら、
十分な”親孝行”と言えるでしょう。

イヤ言っていい。

だからもう過去を悔やむ必要もない。
恨む必要もない。
恥ずかしく思う必要もない。
あの頃の記憶を掘り返して
傷つく必要もない。

むしろ頑張って生き抜いた証拠として
胸を張っていいでしょう。

わたしはよく頑張りました。

だから、ここから先は
自分の気持ちを優先して、
好きなことを好きなようにやっていこう。

他人と比べず、自分と向き合って、ね。

では、今日はこの辺で。
ありがとうございました!

written by マイ(@iamxxxgv
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