YouTubeとか周りの人を見てて思うことがある。
「どうしてそんなに他人にひっついていられるんだろ?」。
いや多分単純に寒いからくっついているだけかもしれない。
あるいは互いの信頼関係から自然と距離が近いのかもしれない。
「家族・恋人・パートナーなんだから当然じゃん?」みたいな答えが
返ってくるかもしれない。
でもわたしには”それ”がわからない。
たとえ家族だろうがなんだろうが、
体を触れられるの嫌だし、
正直近づくのも怖くてたまらないんだ。
*
決定的に欠けていたもの。
自分以外への他人への信頼。
何かを委ねること。頼ること。
人といることへの安心感。
それが育まれるのは
きっと親子関係だ。
親に抱きしめてもらい、撫でてもらい、
話をしてもらい、褒めてもらい・・。
なにか悲しいことがあったら
抱きしめてよしよしとしてもらったり。
その日に起きたことを話し合ったり。
そういう親子のコミュニケーションから
他人への安心とか信頼感とかって
生まれてくるんだと思う。
「この人なら大丈夫」っていう安心感とか
感じ取れるんだと思う。
この経験が乏しいなぁって
最近本当に痛感します。
まず人が怖いんでね。
「この人も母さんと同じように利用してくるんだろうな」
というなんとも悲しい前提があります。
「素の自分を出したら嫌われる」とも
未だに強く思っています。
仕事でもなんか仮面被った状態で働いているし。
それでどっと疲れるしね・・。
人間関係のベースは親子関係。
その親子関係が”主人と奴隷”の関係だったから、
どうしても他人にもそうなってしまう。
健全な家庭で育った方々はそんなふうに思っていないのに。
勝手に自分で人間関係を苦しくしている感じがする。
・・ああこれが、根本先生が言っている
「すべての出来事は自作自演」なんだろうな。
いろいろ気づいて絶望しては、
学んだことがどんどん腑に落ちていく毎日。
割と目まぐるしい(笑)
「あーわたしにはこの経験が欠けている」という
圧倒的絶望感。
正直この経験のなさをどうやって補填してあげればいいかわからん。
とりあえず、慌てず、今この絶望感を感じていようと思います。
そのうちなんかいいアイディアが降りてくるでしょう。
いきなり人を信じるのは怖い。
全幅の信頼とか無理。
裏切られたときの絶望感が怖い。
「あ、死ぬしかない」みたいな絶望感が怖い。
そんなのもう嫌なんだよねぇ。
かといってあんまり防御にはいってしまうと、
せっかくの貴重な体験を逃しかねない。
またいろんなものを取りこぼす。
うまいことバランスを取っていきたいところ。
ちょっとミスっても少し休めば回復することは知ってるから、
いろいろ試していこう。
まだまだやれることいっぱいある。
これが人生の課題でしょうね。
飽きなくていいわ(笑)
だいぶ抽象的でしたが、今日はこのへんで。
ありがとうございました!
written by マイ(@iamxxxgv)
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