ありのままの”マイ”を大事にされた記憶がないから辛いんだなって気がついた話

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昨日やっと言葉にできました。
なんか引っかかること、
でも自分でもうまく言葉にできないこと。

ブログでは何度も言っていることだけど・・

ありのままの自分をそのまま大切にされなかったから、
うまく”自分を大事にする”っていう感覚が
掴めていないのかもしれないって。




先日同じ系統のブログを書きました。
その後ちょっとまたいろいろ考えてて。


やっぱりね、わかんねーのよw
”大事にされる・大切にされる”感覚が。
特に『自分に対して』の感覚がまじでわからん。
てか知らないの。
条件付きで大事にされてきてるから、
素のままの人間として大切にされることが
わからないのよね。

親にとって都合の良い子どものときは、
特に大事にされてたと思います。
だいぶ過干渉気味でね。

他所の人と会うときとかは、
わたしを着飾らせて、
”妹の面倒も見て、学校の勉強も頑張るいい子”として
在ることを求められてきました。
・・まぁしっかり演じたんだけど。

・妹の面倒ができる
・学校の勉強もできる
・親の言う事をしっかり聞ける

そんな条件がついたときだけ、
わたしは親に褒められたし、大事にされた。


だけど、だけど。
本来の素のマイでは大事にされなかった。
むしろ素を出すことを否定された。
存在を否定された。
そこに在ることを許されなかった。

そんなもんで・・
おとなになった今、
”素の自分”を褒められたり大事にされると、
遠慮してしまったりする。
反応に困ったりする。
素直に受け取ればいいのにね。

自分でも自分なりに大事にする方法を模索している。
直感を信じたり、ワクワクする方を選んだり・・
正直これであっているかどうかわからない。
迷ったりする、これで合ってるのかっていつも自問自答。


・・多分正解なんてないのかもしれないけど。
もし”素の自分を大切にする”という感覚を経験していれば、
今こんなに悩まなかったのかなとも思う・・。


悲しいなぁ・・。



なんだろう、まだ損得で考えている感じはする。
明らかに”損”だったよなって思う。
どのような環境に生まれてくるかなんて”運”だし、
親の人間性がしっかりしているかどうかも”運”。
(だから”親ガチャ”って言葉もあながち間違ってない気がする)

わたしは”運が悪かった”って方だろう。
親の人間性もなってなかったし、
通った小学校もなかなかにひどい環境だった。
大きい要因は”親”でしょうね。
わたし3歳の頃からずっと放って置かれていたし。
部屋の隅っこで絵を描く日々。
誕生日も祝われないし、
7歳になったと思ったら両親は離婚するし。
私の話は聞いてもらえないし。

逆に話を聞いてもらって、
ありのままを大事にしてもらっている
子ども達の様子をYouTubeで見ると
ココロがざわざわします。
「なんでこんな自由なんだ・・」って。


羨ましい、憎い、
わたしもこうでありたかった、
悲しい、憎い、羨ましい・・・


そう思うんです。

多分そう思うことが
本当は自分がやってほしかったこと、
自分が望んでいることなんでしょうね。

うん、多分そう。そうだと思う。

だからちょっとずつこのざわざわを拾っていって、
ちょっとずつ叶えていこうと思います。

これがあってるかどうかわかんないけどねw

損得は一旦置いといて。
手探りで模索していくのが
わたしのやることだと思うので。
間違った考え方・偏った考え方をずっとしているよりは
より健全なものだとは思うんだよね。

自分の思うように感じたようにやっていきます。
はー・・・とにかくこのざわざわを大事にしよ。

では今日はこのへんで。
ありがとうございました!

written by マイ(@iamxxxgv
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