ベースが”監視”だから、ケアも完璧にやらなきゃって思いがちな話【本末転倒】

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気がついたこと。
わたしはわたしを監視している。
しかも割と強烈に。厳格に、厳し目に。



理由なんてもうあれですよ(笑)
幼少期の生活がきっかけ。
母親に怒られないようにするために、
わたしはわたしの行動を監視するようになったんです。


粗相はないか、ミスはないか、
本当にこの行動は正しいのか、
お母さん基準でこの発言は正しいか、
お母さんはどうすれば機嫌がよくなるか、
お手伝いにミスはないか・・・
エトセトラ、エトセトラ・・・

本当にこうやってみると・・
毒親ではありますが、”お母さん”を愛していたんでしょうね
どうにかして笑っていてほしい、
どうにかしてご機嫌でいてほしい。
どうにかして怒鳴らないでほしいって。
どう頑張っても願った通りにはならなかったけど。
健気だねぇ・・子どもって。
※人としては、あいつはサイテーな人間だって思ってます。ええ。

すべて”お母さん”のため、
お母さんを笑顔にするために
自分の行動を監視してたんです。
それが今も続いていて、
何をやってもリラックスできないわけです。

顔に化粧水をペチペチするのだって、
体のコリをほぐすためのストレッチだって、
朝ご飯を食べるのだって、
出勤するのだって、寝ることだって。
ぜーーーーんぶ脅迫的な監視。
ちょっとでもミスするようなら
自分の中の”毒親”が怒鳴ってくる感じです。

・・もうこの監視、やめようや。

確かに自分を守るためでもある。
マニュアルに沿っているかどうかとか、
体調に変化はないかとか、
めまいが起きそうじゃないか、
低血糖になりそうじゃないか、とか。
倒れたりしないかな、とか。
そういう不安から監視してるんだけど、
あのね、度が過ぎてるのよw

監視しすぎて、不安になりすぎて、
逆に苦しいのね、逆に調子悪いの。


だからもっとフラットなものにしようと思う。
それが”観察”。

ただ自分の行動や感情を観察するだけ。
ほんとうに見ているだけ。
良い悪いのジャッジはいれず、
「ふぅ~~~~~ん」つって。

その中で何か修正したほうが良いものがあれば修正し、
問題なさそうならそのままにして。
わからないものはわからないままにして。
そんな感じに切り替える。

監視から観察へ。
切り替えていくぞ。
こっちのほうが緩むし、安心できるね。



ってこんなことを昨日考えてたら、
またふと気がついたことが。


わたしには覚悟が足りなかった。
すべてを感じることへの覚悟。

この地球で生きることの覚悟が。

人間だもん、得意不得意いろいろある。
失敗だってする。
悲しくなったりする、惨めだっておもう事もある。
喜んだり楽しかったりすることもある。
この感情や行動の流れには一定の波があるんでしょう。
地球が2極の世界だから。


だからいいんです。
悲しくなろうが、うつになろうが、
惨めになろうが、しんどくなろうが。
楽しくなろうが、嬉しくなろうが、
ポケモン楽しすぎて寝れなくなろうが(笑)

All OK、No Problemです。
すべてwelcome。

どう生きようがわたしの人生だし、
他人にジャッジされる言われない。
気にしなくて良いんです。
たとえ記憶の中の親の言葉であっても。
もう気にしなくて良い。

あーーーそう思ったら、
ちょっと気が楽になりましたわ。

この3次元、もっと楽しんでいこう。

ではそろそろ出勤。
雨はめんどくさいねぇ・・

ありがとうございました!

written by マイ(@iamxxxgv
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