持っていれば持っているで「使わなきゃ・・」という強迫観念があったことについて

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どうも、こんばんは。
休みの日のマイです。どうもどうも。
朝は昼間で寝てしまいましたわ・・・w

で、休みの日は休みの日でいろいろ気づきがあるわけです。

それが・・
「お金があるならすぐ使わなきゃ・・」、
「使わないとお母さんに取り上げられてしまう」、
「早く使っておかなきゃ」という
強迫観念です。




ないならないで不安になるくせに、
あるならあるで不安になるんです。
親に横取りされ続けてきたから。
その記憶が強烈すぎるから。

なんとも悲しい思考のクセだなぁと思うのです。

ほんとに何でも奪われてきた。取り上げられてきた。
大好きなポケモンも、ゲームボーイも、
漫画も、ピアノも。
わたしが必死で頑張って受験して特待生として合格したことも、
祖父たちからもらったお年玉も、
わたしに対する評価も、
高校の卒業式の思い出も、
ぜーーーーーんぶ親のものになりました。

親が横取りするんですよ。
わたしの思い出になろうものが、
親が主役になってしまうんです。

わたしは入学式も卒業式も
自分の誕生日でさえも
ずっと脇役でした。
母親をよりよく見せるためのアクセサリーでした。

横取りされたせいか、
子供の頃の楽しい記憶がほぼありません。
ポケモンやってるときだけかもしれない。
映画館でピカチュウに会って一緒に写真を取ってもらったこととか。
あとそれ以外は全部苦痛すぎて、
記憶が真っ黒です。

なんの感情も湧いてきません。

幼少期の記憶が
あまりにもひどくて、
そのせいで大人の今、
何かと不自由になってるんです。

これらを手放していくことが
大人のわたしの大きな課題ですね。



それにしても母はなんて未熟だったんでしょう。
子どもを一人の人間として見ることもできないし、
信じて待つことも、見守ることも出来ない人でした。
人はみんな同じ、同じ考えを持つって強く思い込んでました。

生きていく中で生きづらさを感じなかったんだろうか。
「なんか変だ」って思わなかったんだろうか。
どうして人に攻撃ばかりしていたのか。
それに疲れた瞬間はなかったのか。

わからん。立ち止まることも、振り返ることもしなかった。
あの人の行動がよくわかりません。
わかりたくもないです。

そんな親の元で育ったわたしも当然未熟です。
親と同じくわたしと他の人は同じだって思ってたしね。
今は「同じなわけない、経験によって違ってくる」って
理解している、わかっている。
ある程度、未熟度は母親より緩和したと思います。
ええ(負けず嫌い)。

時代のせいではないと思うのです。
だって同年代の人たちが
自分の子供を見守ることができている、
信じて待つことが出来ているんです。
アクセサリーのように扱うことなく、
一人の人間として尊重して接しているんです。

そうなるとやはり母個人の問題。
育った環境とか、二人の姉とのいざこざとかも
いろいろ影響があるんでしょう。
きっと二人の姉に負けたくなかったんだろうね、
それで意地はってずっと攻撃ばかりしてたのかも。

サレンダーしていれば、
しっかり姉たちを話し合っていれば、
頼れるところを頼っていれば、
本来の彼女らしい生き方ができたような気がしますけど。

まぁ負けず嫌いだったんでしょうね。
その部分はしっかり遺伝してきたかも。



幼少期の脅迫的な記憶は、
だいたい”焦り”とともに出てきます。

「やらなきゃやらなきゃ」って
同じ考えをループしているときに
出てきやすい気がする。

そうなったときは一旦立ち止まり深呼吸。
「本当にそう?」って聞いてみよう。

それで強迫観念から緩める気がする。

例えば食事なんかそうだろうね。
お金あるからどか食いしとかないとって
結構な割合で思うんです。

でもそこで「ほんとにそうかい?」って聞いてみる。
いまお腹いっぱいかもしれないし、
メンタル的にそんな食べなくて良いかもしれない、
体がどか食いを拒否しているかもしれない。

こうやって自分を取り戻していきます。

では今日はこの辺で。
ありがとうございました!

written by マイ(@iamxxxgv
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