”肯定”よりも”受容”を。まだまだ依存している構ってちゃんな自分がいる

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肯定よりも先に受容が必要。
ここ2-3年のモヤモヤは、
自分のことを受け止めてもいないのに、
無理やり肯定しようとして
ココロとカラダが反発していたんだと思います。








構ってほしい。
ほったらかしにしないでほしい。
妹ばっかり面倒見ないでほしい。
わたしだってまだ子どもだ。
”姉”とはいえまだ一桁台の年齢だ。
まだ、子ども、だ。

わたしだって、さみしくなる。
わたしだって、無性に怖くなったりする。
わたしだって、悲しくなったりする。
わたしだって、できないことがある。
わたしだって、苦手なことがある。

どうして他の子はよくて、わたしは駄目なの?
なんで”いい子ども”・”いい姉”でいなきゃいけないの?
わたしの基本的人権はどこ?

ねぇ。お母さん、お母さん、お母さん。
答えろよ、ボケナス!!!!








こんなさみしい気持ちが、
ココロの奥底に凝り固まって鎮座していらっしゃる。



わたしは、寂しかった。
少なくとも3歳からそう思ってた。
そして自分の感情をストレートに言わなかった。
少なくとも妹が生まれた3歳の頃から。



これだけ溜め込んでいたのだから、
きっとよっぽどのきっかけがあって、
親に言わなくなったんだろうと思う。
もうすっかり覚えていないけど。
だけど今でも「素直に言ってはいけない」って
どこかで思っているから。






じゃあ甘やかされたいかって言われたら、
そんなこともないんです(笑)
過干渉になるから嫌なんです。




母親は過干渉でした。
子どもが見るTV番組制限するわ、
漫画も読ませないわ、
成績悪かったら全部ゲームのせいにして
ゲームボーイ取り上げるわ。



ガラケーを持たせられたらもう最悪よ。
逐一SMSで行動報告しなきゃいけないんだから。



控えめに言っても最悪なワケ。



して、人間関係のベースは親子関係・・・
そんなもんだから、
「周りの人もみんな過干渉なんだ・・」って
私は思い込んでいるのです。

だから人に近づきたくないのです。
仲良くなるのが億劫なんです。



でも、ある程度構ってほしいのです。
ある程度放っておいていただいて、
最低限の会話ができれば満足なんだよね。
は~~~矛盾してますなぁ・・・






あとね。
「常に生産性のあることをやっていないと駄目」、
「常に効率的でないと駄目」、
「常に完璧でなければ存在価値がない」って
思っているフシがある。
特に仕事中。



これも親に認めてもらいたいから、
褒めてほしいから、
「頑張ったね」って言ってもらいたいから。



・・・親に依存しているんだろうね。
そうなんだろうねぇ・・・。



もうこの思考も手放したい。
解放されたいです。
なぜならしんどいから。



人によって効率的にできないことなんて
しょっちゅうあるし、
体調や気分なんて日々変わるし、
常に完璧にできるわけがないのよ。



今思えば子供の時も
常に頑張りすぎて
時々爆発してモノ壊したり、
問題行動起こしたりしてたわな・・








まずは否定するのではなく、
受け入れること、自己受容です。

こんな自分も自分ですって
抱きしめてやることですわ。



あと自分を甘やかすこと。
もう頑張りたくないもん、疲れた←。
ほどほどに手を抜いたほうが
余裕があっていい動きができたりするじゃない。



我慢しないこと。我慢しない道を探すこと。
ちゃんと感情を感じて吐き出すこと。
ストレスケアをやっていくこと。



まだまだ自分育ての癒やしの道は長そうです。
ゆっくりやってこ。
生き急いでも仕方ない。



では、今日はこのへんで。
ありがとうございました!


written by マイ(@iamxxxgv
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