親の目線で、母と長女のこれまでを見返してみた

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東洋哲学と量子力学に触れたことでまた自分の気持ちの整理をしているんだが、親の罪悪感たるやって思った。
あの人もそれなりにとんでもない罪悪感を持って、長女に接していたんだと思う。

・感じることを禁止した
・習い事も奪った
・ポケモンも奪い取ろうとした
・子供らしく過ごせてやれなかった

これらをぜーーーーーんぶ妹にやって、母は自分の中の罪悪感やら後悔を埋めようとしたんだと思う。
だけど長女の不満は募ってるわけですよ、「わたしにはやってくれなかったのに、どうして妹だけ?」って。それなりに反抗もするわけ。

その補填として、母は長女を北海道へ出したんでしょう。長女が望んだ「北海道の大学に行って一人暮らしする」という夢を実現するために。相当無理したでしょう、特にお金の面で。お金の工面に苦労したでしょうね!あんた乳がんだのなんだのやって働けてなかったもんね!!!!!!
さらに罪悪感の解消として、長女を父親の死に目に会わせなかった、自分の死に近づけなかった。おそらく親戚のいざこざに巻き込まないため。

長女の”自由”をこれ以上奪わないため。

母は無理やり長女を自らの関係性から切り離すことで、長女への償いをしたつもりなんだと、思いました。
一切関わらせない、何もしない、何もさせない、自分の死に目にも会わせない。
それが超絶不器用で頭ガチガチの頑固ババアが考えた、おそらく最良である、愛情表現だったんでしょうね。

まぁ当時のわたしは受け取れなかったし、「はぁ?あいつ何遺言みたいな電話してきて勝手に死んでんの?」って思ってたし、激怒プンプン丸だったけど。

なんとも不器用だと思います。母から、親から”話す”ってことをしてくれれば、もうちょっと変わりそうなもんだったけど、母の性格的に無理でしょうね、典型的なモンスターだったんで。

多分、わたしが好きだった”ママ”と”パパ”は、彼らが離婚した時に死んだんだと思います。その後はまるで別人だったし・・・(パパは小学4年生くらいまではわたしのパパだったけど・・・)

母の不器用な愛情は理解しましたが、お前がやってきたことは許すつもりはねぇからなバカがよぉ。わたしから五感を奪い、徹底的に外に触れさせず、軟禁状態にしてたこと、許さねぇからな。
理解はしたが、許さねぇ。まだそんな状態です。ええ。



本を読んだ影響で、
「母親視点」から過去を振り返ることができた。
自分の気持ちを紐解いていったら
自然と母親視点で見ることになってしまったんだが。

長女視点からみたら
身勝手でどうしようもない毒親。

けど母親としては、
「長女に対して罪悪感だらけのダメな母親」って
少なからず思っていたかも知れない。

うん、少なからず、ね。





長女が7歳になったとき、
小学生に上がった時、
夫と離婚した。

理由は夫の借金問題。
使いもしない高価なものを買っていた。
そのせいで借金が膨らんでいた。
娘たちを保育園や幼稚園に行かせもせず、
夫は高価なものを黙って買っていたのだ。

こんなやつ、信用できない。
だから離婚した。
もちろん、こんなやつに頼りたくないから、
養育費などは一切もらわなかった。
自分の稼ぎだけで、娘二人と生きていくと決めた。

社会復帰したあと、収入が安定するまで大変だった。
何度もガスや電気が止まってしまったし、
満足に風呂に入ることもできないこともあった。
次女の保育園の迎えにもいけないこともあり、
小学生に上がったばかりの長女に迎えに行かせることもあった。

長女にはさみしい思いをさせている。
学校が終わって学童保育の時間も終わって、
帰ってきても誰もいない家。
真っ暗な家。
じっと一人で妹と自分の帰りを待っている。

授業参観にも仕事で行ってやれなかった。
運動会だって行けてやれない。
朝の旗当番だって参加できない。
家計が圧迫されていたため、
習い事でずっと続けていたピアノも
やめさせるしかなかった。

長女にやってあげられなかったことは、
次女にしっかりやってあげよう。

そう思った。
それで長女への罪悪感は癒えると思った。

・・・癒えなかった。
長女への罪悪感は募る一方だった。


長女は大声で泣き叫んだりはしないものの、
怒っていたと思う。
「どうして妹ばかり」と。

愛人の上司は次女によくプレゼントをしていた。
その中には長女が好きなピカチュウもいた。
長女は憤っていた、「ピカチュウはわたしが好きなのに!」と。
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と怒鳴った。
長女は黙った。我慢していた。それでいいと思った。

でも長女はずっと怒っていたんだ。

あの子はその後もずっとポケモンを好きでいた。
どんなに「やめろそんな子供っぽいの」と怒鳴っても、
「そんな男の子のものを!」と叱っても、
あの子は好きでいることをやめなかった。

怖いくらいの執念・・だった。

事あるごとに次女を優遇した。
普通の親のように授業参観にも行ったし、
次女が望む習い事もさせた。
長女には何かとずっと我慢させた。
授業参観にも行けないし、
習い事もやめさせた。

長女の怒りは・・きっとずっと積み重なっていたのだ。

長女の高校受験。
彼女は市内でもなかなか有名な
私立高校に合格した。
それも学力特待生。授業料免除である。
「これはいい!」と思った。
トータルでみて県立よりも費用がかからない可能性がある。
だったらココに行かせたほうがいい。

中学の三者面談で私立高校への進学を勧めた。
担任の先生も同じく勧めてきた。
だが、長女だけは納得していなかった。
どうしてだろう、この子は私に従順だったはず。
「あんたもしかして県立行けないのがいやなの?」
そう聞いたら長女は泣き出した。
何も言わず、ただ涙を流していた。
そして私立への進学を了承したのだ。

よくよく思い返せば
元々自分が県立への進学を勧めていたんだった。
長女はその期待に応えようとしたのに・・・
私立に行かせてしまった。
それで長女は自分の頑張りを無視された気持ちになり、
あの三者面談で静かに泣いたんだと思う。

高校に進学して初めての三者面談。
担任の先生に「マイさんなら大学を狙える」と言われた。
嬉しくなった。長女が「大学に行った」という
社会的ステータスを身につける・・!
そうすれば私も他人から舐められることはない・・!

その場ですぐに長女に「大学行きなさい」と言った。
長女は驚いた顔をしていた。
そして少し時間を置いて、長女は言った。

「なら、北海道の大学、行きます」

北海道・・・・どうして・・?
まぁとりあえず大学に行く気にはなったみたいだし、
ダメだったら県内の大学に行かせればいい。

とにかく、自分のステータスを上げるために、
長女が大学にさえ行ってくれればいい。

・・・
・・・・・
その後の長女の受験勉強への取り組み具合は
鬼気たるものだった。


学校で提供される塾的な授業に全て参加。
朝早くから夕方遅くまでずっと学校に缶詰。
当然バイトなんてさせなかった。
大学に行ってもらうことが何より優先だ。
とにかく長女は高校3年間、
本当にずっと勉強をしていた。
恐ろしくなるくらいだった。
怖かった。呪われているみたいだった。


そして最終的に、
長女は北海道の大学に合格したのだった。


長女の大学受験への取り組みをみて、
「このコは本気だ」と感じざるを得なかった。
この子は家から出る気なのだろう。
この大学受験をきっかけに、
家を出たいのだろう。

だったら・・出してあげてもいいんじゃないだろうか。
私の目的である「大学まで出た娘」という
ステータスはしっかりGETできる。
この子には我慢をさせすぎた。
子供らしい子供時代を過ごせなかった。
この子の最大のわがままであろう
「北海道の大学へ行く」を後押ししてもいいだろう。


親として、この願いは、
後押ししよう。

そう決めたけど・・・
脳梗塞が見つかった、乳がんも見つかった。
自分の身体はボロボロだった。

せっかく長女が大学に合格したのに。

お金の工面はなんとかした。
愛人からも分取ったし、
元夫からもある程度支払いさせた。
消費者金融からも借入した。
そのお金で長女を無事北海道へ送り出せた。

長女のわがままも叶えたし、
自分も娘を大学に出したという実績を作った。
これでずっと他人より優位になれる・・・。


・・・なれるわけがなかった。
結局愛人とは別れ、元いた会社もやめ、
別の仕事をやる羽目になった。
更に糖尿病まで見つかった。
乳がんも再発した。
糖尿病の合併症で目も見えなくなってきた。

そして、長女が帰省しなくなったのだ。

大学生時代は年に2回は帰ってきていたが、
社会人になってから帰ってこなくなった。
気がつけば新卒で入った職場をやめ、
別の仕事をしていた。

電話で話をしても、
長女はただ黙って聴くだけだった。
わたしの話に載ってくれない。
時に「結論から話せよ、無駄に長いんだよ!」と
逆に怒鳴られる始末だった。
どうしてこんなことを言われなきゃいけないのか、
全くわからない。

きっと・・わからないくらい、
自分の脳がやられているんだろう。
自分のことしか考えられないんだろう。

長女はもう帰ってこない。
帰るつもりなんてそもそもなかったんだろう。
あの子は北海道に骨を埋めるつもりだ。

だったら、親としてできることは・・
あの子を北海道に置いてやること、
こちらのゴタゴタには巻き込まないこと。
自分の病気の件で必要以上に巻き込まないこと。
元夫の死に関して関わらせないこと。

自分の死に関しても関わらせない。

そのために電話をしておいた。
長女は「わかった」とだけ答えた。
これは・・遺言だ。

あの子の自由はこれで守れる。
あの子は自由にやっていける。
これでどうか、許してほしい。





以上が、私なりに考えた、
”母親視点でみた長女との関係性の振り返り”です。

わかんないよ、これが正しいかどうか。
もう本人死んでるし。
てか正直聞きたくもない、
どうせ懺悔と自分は悪くないって言葉しか出てこない。
そんなの気持ち悪いったら無い。

でもこうだと思います。
こういうことだってことにします。

あの人もいろいろと抱え込んでいたんでしょう。
そういう価値観しか持てなかった、
周りの人にマウントを取ることが大事っていう
価値観を持つしか無い環境だったんでしょう。
父も母も、”金と見栄が正義”みたいな価値観だったんでしょう。

そういうことにします。
彼らも致し方なくそういう価値観を持ってしまい、
そのように子供に接するしかなかったんでしょう。

ある程度は理解するし、認めるけど、
許しはしない。
お前たちを許しはしない。


どこかで自分の考えがしんどいって思うことがあったはずだ。
何かしらで生きづらさを抱えていたことがあったはずだ。
「どうしてこうなるんだ・・」って感じたことがあったはずだ。

なぜその時立ち止まって振り返ろうとしなかったのか、
その愚かさをオレは許さない。

この雑魚が。
他人との比較ばかりするからそうなるんだろうが、アホめ。
自分を見つめないと何も変わらねーんだよ、雑魚!
(特大ブーメラン)

理解はするが、許さない。
これがわたしの毒親に対するスタンスです。




私が大好きだった家族は、
父と母が離婚した時に崩壊した。
その後は我慢ばかりの生活・・
いや、きっとその前から我慢してたんだろうな。
散々放って置かれたと思う。
「子供は親の言うことをきくモノ」という
子供を人間として尊重しない価値観で
二人は接してきたんでしょう。

親になるならば・・・
やはり人格を整えておきたいって思います。
対等な人間として尊重したい。尊敬したい。
(まぁ今のところなる予定ないけど)

これによる弊害が私にはある。
ココロにずっと穴が空いている
ぽっかりと、エリアゼロのような大穴が。
深い深い穴が空いている。

なんか感情が死んでるんですよ。
”感じる”能力が死んでるんです。
寂しい・悲しいっていう感情を我慢しすぎて、
何も感じないようにしていた時間が長すぎて。
感じる機能が死んでしまっている気がします。

多分ですがね、まだ緊張しているんだと思います。
緊張するクセがあるというか・・。
そのせいで”感じる余裕”がないんだと思います。

常に警戒していないと、
いつ親に理不尽に怒られるかわからなかったし、
いつ親の機嫌を損ねて家を追い出されるかわからないし、
いつ両親が喧嘩しだすかわからないから。

覚えていないけど・・
多分わたしが生まれた時点で
両親の不仲は始まってたと思います・・。

喧嘩していただろうし、怒鳴り合ってただろう。
妊娠中も父は母をギリギリまで働かせてたみたいですから・・。
いろいろ不仲になるきっかけはあったと思います。

その影響で緊張するクセがついて、
今も苦しいんだと思う。

この緊張がちょっとでも緩まれば、
死んでいた”感じる能力”もちょっと回復すると思う。

もう安全であること。
そんなに緊張しなくても大丈夫であること。
これを自分に教えていこう。
育て直しというか、学び直しですね。

では今日はこのへんで!
ありがとうございました!

written by マイ(@iamxxxgv
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