【AC】毒親が言う「愛」は依存心と劣等感であり見返りを求めるものだった【偽物の愛】

本ブログでは広告が掲載されております
本ブログでは広告が掲載されております。
この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク



「お母さんはお前を愛しているからね」



毒親は喧嘩をするたびに
こういってわたしを言いくるめた。
「親のいうことが絶対だ」と
思い込ませてきた。



今この言葉を頻繁に思い出す。
そして断言できる。



あいつの言葉は”本当の愛”ではなく、
重たい依存心と劣等感の塊であり、
子どもを都合のいいように使うため、
見返りを強く要求した言葉だったのだ。







”愛”ってなんだろう?
ここでいう”愛”は
異性間や同性間の恋愛ではなく、
”親子間での愛”について、だ。



わたしが思うに、
親子間の愛は見返りは求めず、
尊重し、信じあって、見守るものだと思う。




親から子へ愛は、
子どもを一人のニンゲンとして尊重し、
子どもの個性を自由に伸ばし、
元気に健やかに育っていくことを見守る。
人生は子どものものであり、
親はちょっとした道案内をするもの。
見返りを求めることはない。無償の愛。



子どもから親への愛は、
親を信じ、元気にのびのびと成長すること。
自立して、自分の人生を、自分の幸せを、
掴みに行くこと。
親の言うことばかり従うのではない、
従うのは自分の意志だ。



これはわたしが
You Tubeなどで
健全な家庭をみて感じたことだ。
親も子どもも情緒的に自立してて、
お互いに自分の幸せ追求している。
お互いが笑顔になることをしている。
これが愛あふれる家庭なのかな、と。




光が溢れてて、暖かい空間だ。
とても居心地がいい。

見ているこっちまで穏やかになれるような、
そんな空間。





・・・・うちはそんなのなかった。
常に薄暗く、冷たい風が吹き、
お互いの機嫌を伺い合い、
常に緊張している空間。



緊張の糸が切れるのは、
親が発狂してヒステリーを起こし、
子どもを徹底的にけなすか、
子どもがなにか粗相して親がキレ散らかすか、
わたしが親の圧政に耐えかねて喧嘩を振った時だ。



「いい加減にしろ!なんでお前の言うことばかり聞かなきゃいけないんだ!」
「わたしだって一人の子どもなのに、どうして大人にならなきゃいけないんだ!!」



平手打ちやら家からの追い出しやら・・・
ひとしきり言い合ったあと、
親は必ず最後にこういうのだ。



「お母さんがこうやって厳しく言うのはお前を愛しているからだからね」



必ず世間の一般論を持ってきて、
わたしの動きを封じようとする。
そして、この言葉には、こんな意味が隠れている。



「(これだけお前にお金をかけているんだから、親の言う通りに動けゴミクズ。親を立てろ。親を敬え。親の機嫌をとれ。お前は世話が必要な子どもではない。親を”よく魅せる”ためのアクセサリーだ。言うことを聞かないなら、お前の食事など出さないし、服も買わない、学校もいかせないぞ)」



生きるか、死ぬか。
どっちかしかなかった。
当時からこのような言葉の裏の意味を
読み取っていました。



正直死んでもよかったんだけど、
今度は3つ下の妹が標的になる、と思ったら、
死ぬわけにもいかず・・
生きる道を選んで、親の言いなりになってました。



暗く冷たい、氷のような家。
親はどす黒い自分の依存心やら、劣等感やらを
平気で子どもにぶつけてくる。



そう、毒親の言っていた「愛している」は、
本来あるべき「親子間の愛」ではなかった。
「親の奴隷になる」という見返りを求めた
毒親の依存心や劣等感だったんです。









こういう経験が幼少期にあったもんだから、
社会に出てから大変だった。
「人からの好意」を信じられなかった。




ご好意でなんかお菓子もらったり、
食事おごってもらったりしたんだけど、
なんか裏があるんじゃないか・・」って
ず~~~~っと疑ってた。



「これをもらったら、なんかしなきゃいけないのか」
そう思ってしまって、素直に好意を受け取れなかったり、
食事も遠慮したりいかなかったり、
頑なにお土産をもらわないってこともあった。



”人からの施し”は必ず見返りを求められる。
見返りを返すことができないなら、
全部自分でやるしかない。




わたしはそう思い込んで、
その通りにやっていたら、
ある日突然ベッドの上から
起き上がれなくなりました。







その後、いろんな心理学の本を読んだり、
SNSやYou Tubeでいろんなご家庭を見て、
自分がどれだけ毒親の毒に蝕まれ、
考え方がガチガチに固まっていたかを知りました。




わたしが・・・
「人からの施しは見返りを返すのがセット」と思い込んだのは
仕方のないことだった。
人は親との間で人間関係の作り方を学んで
社会に出ていくものだから。
親との関係が「見返りありき」だったら、
当然世の中も「見返りありき」って思ってしまうんだ。




だけど実際の世界って違う。
”見返りを求めない、無償の愛”ってやつがある。



わたしもその無償の愛を受け取って良い。
親からは受け取れなかったけど、
よく行くお店でサービスしてもらったりとか、
人からなにかもらったりとか、
行動を褒めてもらったりとか。



”見返り”を疑わずに、そのまま素直に受け取って良い。
”無償の愛”はまぶしくて暖かい光を放っている。



わたしは、今、
”見返りありき”の偽りの愛と、
無償の愛を見極められる。










イメージはこう。
”無償の愛”は暖かくてココロが和む、穏やかなもの。
見返りありきの”偽りの愛”は、
寒くて暗い、どす黒いモノ。



愛を見極めて受け取るかどうかを決める。
今のわたしならそれができる。



今までは何でもかんでも受け取って、
自分の首を締めていたけれど。



もうそんな状態にはならない。



自分の直感を信じられるようになった。
直感の精度が上がった。
いろんなものをみて、
いろんな価値観があることを知った。
受け入れることができた。
その上で、自分の意志を持った。



だから大丈夫。
もう自分を苦しめるだけの
見返りありきの”偽りの愛”には捕まらない。










正直まだね、
褒められたりするの慣れないの(笑)
物もらったりするのもね。



だけど・・・
”無償の愛”に該当するものに関しては、
素直に受け取って「ありがとう」と
お礼をするようにします。

受け取ることも覚えていこう。
不器用でもちょっとずつやっていこう。



どうもわたしは”見極める”ことに関しては
得意分野らしい。

論理的に説明は難しんだけど、
感覚的・抽象的には見極めができる。



この感覚、大事にしたいと思います。



さて、愛あふれる動画でも見て
愛をチャージしますかね。



では、今日はこの辺で!
ありがとうございました!



written by マイ(@iamxxxgv
※各種SNSもフォローお願いします!

タイトルとURLをコピーしました