【AC】貴重な”家族としての記憶”がケンタッキーに詰まっていた件について

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最近ケンタッキーがやたらと好きです。
一番落ち着くし、
バーガーとかも写真に近い感じで
かなりボリューミーだし。
店舗もいい雰囲気だし。
好きなんだよね、うん。



なんでだろうな~、と思ったの。
どっちかっていうと、
マックの月見やグラコロが好きだから。
ポテトもどっちかっていうと
マック派だし。



いろいろ考えているうちに思い当たったことがある。
子供の頃、本当に時々だけど、
家族でケンタッキーに食事に行っていた。




その時間がこの上なく幸せだったということ、を。



◇
◇




家にいても自分の空間がなくて辛かった。
無理やり一人部屋にしてもらったけど、
何故かドアがぶち抜かれてて外されてて、
密室にすることができなかったの。



いつも親が無神経に部屋に入ってきて。
それが嫌で嫌で。
わたしのプライバシーがなくて、
自宅は安全基地ではなかった。
※親が家にいないときは安心だったけどw



学校も学校で同級生よりも上に立たなきゃと
常に緊張・焦りがあって
安らげるような場所ではなかった。



ただ本当に時々。
お昼ごはんを食べに
近くのケンタッキーに行くことがあった。




そのお店はドライブスルーがメインの店舗で、
イートインってほっとんど人がいないの。
いても一組くらい。



そこで食事をしている時間が、
”ただの普通の母子”として過ごせて、
本当に楽しくて穏やかで
幸せな時間だったんです。




ただただケンタッキーのメニューを食べて
みんなでおいしいね~って言って。
母も私も妹も、ビスケットが好きだったから、
絶対ビスケットを食べてたし。



同じものに対して関心を向け、共有して時間を過ごす。
これが本来の親子の時間だったんでしょう。
それがケンタッキーにいけば感じることができたんです。



この感覚が、高校生の頃にもありました。
母がわたしと二人でカフェに行くことがあったんです。



その時も「カフェでゆっくり過ごす」という時間を
共有することができて、
楽しい感覚が残っています。



◇
*
◇


母はたしかに色々やってました。
年に1回は旅行に連れて行ってくれたり、
ドライブ連れて行ってくれたり、
買い物に連れて行ってくれたり・・・



だけどそれは、
母親自身の見栄や自尊心を満たすもので、
子どもに向けられた愛情ではなかった。

実際わたしは1mmも楽しくなかった。



「わたし年に1回は子どもたちと旅行に行くの!」
「時々ドライブもしたりするのよ!」
「どう?私っていい母親でしょ????」



他人や社会から見て、
子どもとの時間を過ごしているシングルマザー、という
レッテルが欲しくてあの人はやってた。



あくまでわたし達娘はアクセサリー。
言う事聞かなければ旅行先でも怒鳴るし、
機嫌取ってないと「車から降ろして捨てる」と
怒鳴られるような感じの人。



・・・・わたしは、
学校を休んでまで旅行なんか行きたくなかったし、
無理やり買い物につきあわされて、
1時間も2時間も親の服選びに付き合うのも嫌だった。



ただふつーの親でいてほしかった。
離婚したんだったらそのこと話してほしかったし、
どういう状況なのか教えてほしかった。
都合の悪い事実を全部隠すような形で
毎日過ごしている親をみているのが、
そんな親と一緒に過ごしているのが、
ほんとうにほんとうに、辛かったです。



旅行なんて贅沢もいらない。
ただ家族の誕生日をちゃんと祝ったり、
関心のあるものを一緒にみたり、
授業参観や運動会にきてほしかった。
それが子どものわたしの願いでした。



◇
◇



正直これに気がつくまでは、
「自分の親は全てにおいて最悪なニンゲン」と
思っておりました。



だけどこうして思い出してみると、
本当にちょっとですが、
幸せな、穏やかな、楽しい思い出もありました。




この楽しい思い出を大事にし、
この楽しさを増幅させるために、
時々ケンタッキーに行ったり、
近くのカフェでのんびりしようと思います。



もしかしたら、ケンタッキーもカフェも、
わたしの心の中の安全基地なのかもしれません。
大事にします、この気付き。



ちょっとだけ、また心が軽くなった。
2023年6月。



では、今日はここまでです!
ありがとうございました!



written by マイ(@iamxxxgv)
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