【AC】神経症的劣等感が解消されていないと、他責で攻撃的言動をするのでは?【考察】

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わたしは毒親に育てられた
アダルトチルドレンです。



神経症的劣等感が強いし、
幼児期に満たされなかった甘えも残ってるし、
ちょっと依存心も残ってる。



これらが原因で生きにくいんだけど、
自分なりにアダルトチルドレンの癒やしを進め、
少しずつ回復しているところです。



そんな中で思ったんです。
アダルトチルドレンが思った以上に多いこと」、
「楽しく動画やSNSをアップしている人って
劣等感や甘え・依存心がない人だ」、
「高級なものを見せびらかしたり、マウントを取ったり、
攻撃的な発信をする人って、
神経症的劣等感が強いのかもしれない
」、
エビデンスとかはないけど、
感覚的にこうだと思うの。



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神経症的劣等感などが要因で、”自分の想像の世界に閉じこもる”


どーもどーも。
メンタルケアに全力集中!
マイ(@iamxxxgv)です!




アダルトチルドレンの傷を癒やすため、
亀ペースで本を読んでいます。
最近読み込んでいるのは
加藤諦三さんの本です。




本を読んでいる中で、
加藤さんは明確に
「アダルトチルドレン」・「毒親」という言葉は使っていないものの、
機能不全な家庭の特徴やそれによる弊害を
わかりやすく例えを交えて書いてくださっています。



加藤さんの本を読んでみて、
「アダルトチルドレン」と「毒親」を、
自分なりに定義が明確にできたと思います。


アダルトチルドレンの定義

愛されずに育った人心理的ネグレクト(親が無関心、無視する)を経験している、「お前は本当にだめな子ども!」という言葉を浴びて「無価値感」を受け付けられている
幼児的な甘えを満たされずに育った人:子どもの時に子どもらしく振る舞えない。大人しく世間で言う”いい子”がこれに該当する可能性が高い。
大人になってからだと、「自分の欲求はすべて叶えるべき」と考え、周りが少しでも自分の意にそぐわないと、「かなわないなぁ、どうしてそんな風にするの?」と他人を責める。(これが”自分の想像の世界”にいるってこと。)
神経症的劣等感を持った人:親に自分の存在を尊重されず、常に奴隷のように扱われたため、同級生や友人にマウント・優越を取ろうとする。この行為により「自分の価値観」を得ようとしている。自慢話や取り巻きに囲まれている人がこれに該当すると考察。
大人になってからは、常に上へ行こうとして昇進することに執着したり、ブランド品で着飾ろうとする。

毒親の定義

●アダルトチルドレンが傷を癒やすこと無く、そのまま大人になり、親になった人
子どもへの依存心が強い:自分が子どもの時にできなかったことを、自分の子どもにやらせようとする。
神経症的劣等感が強い常に他人よりも優越していないとだめって思い込んでる。なので収入に見合わないブランド品を身に着けたり、周りに攻撃手な言動を見せる。また、子どもも他人に優越するための道具と思っており、子どもには常に”いい子”でいるように仕向ける。



アダルトチルドレンと毒親の特徴として、
もう一つ大事なことがある。



自分の想像の世界に閉じこもっている」、
現実にコミットしていない」ということだ。



”自分の想像の世界に閉じこもる”ということ



言葉だとわかりにくい部分もあるから、
絵に書いてみました。
こんな感じ、自分の殻にこもってる



なんで自分の想像の世界に閉じこもるのか。
それは劣等感と甘えの欲求から
親に劣等感を受け付けられ、
甘えることも許されず、
人間の生理的欲求と安全の欲求が満たされていない状態
マズローの欲求5段階説の一番下側ね



生理的欲求・安全的な欲求が満たされない反動で
「親はああいう態度だけど、本当は違う」みたいな考えが浮かび、
”本当の自分はこうなんだ”と価値のある自分を想像し、
その想像の中に閉じこもってしまう。

閉じこもって自分の価値とココロを守ろうとする。



これってさ、普通に生きてたら、
よくあることじゃない?
一種のココロの防衛反応なのよ。
心無い言葉を言われた時に、
自分を守ろうとして
想像の世界に逃げ込む。
それ自体は悪くないのね。



だけど・・・・
「想像の世界に”永続的”に逃げ込む」と
現実の世界を見れなくなる。

事実を事実として受け止められなくなる。
人の善意が悪意に見えてしまう・・・
そういう弊害が起きて、
人間関係がうまくいかなかったり、
周りの人を攻撃したり・・・
そして最後は孤独になってしまう・・。



そう思うのです。
自分の経験と、自分の親の行く末と、
本の内容を統合して考えると、
こうなる未来が見えます。


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自分の殻に閉じこもってる人が、攻撃的な行動に出てしまう理由は・・?


世の中には
なぜか知らんがやたらと
批判したり、すぐ怒ったり、
何かにつけ文句を言う人がいる。



それは動画のコメント欄とかもそうだし、
SNSのリプ欄とかもそう。
「どうしてそんなことするんですか?」、
「こうした方がいいと思います」、
「こうしてくれないなんてがっかりです」と
自論を押し付けるのも含める。



自分の無知や怠慢を棚に上げて
人のせいにしようと、
他人をとにかく責める人がいる。



こういう人は自分で責任を持たない。
すべて”他人のせい”なのだ。

わたしはこういう人を
「毒親もどき」と呼んでいる。



じゃあ、どうして他人を責めて、
他人のせいにするのか、
どうして攻撃的なことをするのか。
どうして自論を押し付けるのか。
責任を持とうとしないのか。



それは、自分の中にある
神経症的劣等感を癒やしたいからだ。



攻撃して、自論を言って、
言い負かすことによって、
自分の中の無価値感や劣等感を
埋めようとする。
マウントを取って優越に浸る。



だけど、このやり方では、
おぞましいほどの神経症的劣等感を
埋めることなんてできないわけ。

埋められたとしても一瞬だけ。
その時だけは気持ちいいだけ。



その気分の良さを維持したいがために、
なにかと粗捜しして、文句をつけて、
優越感を得る。
気がつけば「文句ばっかり言っている人」の
出来上がりなのだ。



「文句ばっかり言ってる人」は
無責任で、神経症的劣等感を持ってて、
”自分の想像の世界”に閉じこもっている、
自分のことを讃え甘やかしてほしいという欲求を持った、
寂しい人なのだ。








こんな文句ばっかり言ってる人がどうなるか。
想像つくでしょう?
誰にも相手にされなくなって結果独りなんだよ。
孤独になります。




神経症的劣等感を解消したいのであれば、
周りに攻撃するんじゃなくて、
自分としっかり向き合って、
自分の想像の世界から出なきゃだめ。
現実をしっかりみないといけない。




まぁそれがしんどいんだけどね・・w


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愛されて育った人は、安心と安全を知っているから、怖がらず発信できる


父親が父親として機能し、
母親が母親として機能し、
子どもが子どもとして振る舞える家庭、
機能健全な家庭で
愛されて、安心と安全を覚えた人は、
気持ちよく発信ができるんでしょう。

何も恐れることがなく発信ができる。



わたしなんかは不安しかないから、
発信するときなんかは
「なんか言われたどうしよう」、
「アンチコメついたらどうしよう」とか
急激に不安になるし、怖くなる。
だから動画とか出そうとも思わんし、
顔出ししたいとも思わない、まだ怖いもん。



だけど、「自分は大丈夫」という
安心・安全の欲求が満たされている人は、
怖くないの、何をするにしても。




だから気持ちよく楽しく発信ができるんだと思う。
少なくともわたしが見ている人たちは、
とても楽しそう。
ちょっとアンチなコメントがあっても
さらっと流しているもの。



人間の安心・安全な欲求が満たされているかどうかで、
変わってくるもんなんだよね、本当に。
最近痛いくらい感じるんだ・・・。



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まとめ:神経症的劣等感を減らしていかないと、日本はますます生きにくくなると感じます・・。


加藤諦三さんの本にも書かれていましたが、
神経症的劣等感を持った方は
非常に多くいます。たっくさんいる。

本当にいる。



いやもっというと、
この国は、日本は、自覚していないだけで、
アダルトチルドレンだらけだと思います。

いやまじで、大げさじゃなく。
国会議員とか政治家さんにも
いっぱいいると思うの。



考えてみるとですよ。
長年の鎖国から開国して、
いろんな文化を受け入れてきたけど、
戦争で負けて・・・
なんというか、歴史から考えるに、
いろいろ我慢をしなきゃいけない国だったのかもしれない。
我慢しつつも、成長することを余儀なくされていたし。
世界に対抗していかなきゃいけないから、
舐められないように虚勢を張ってないと
いけなかったのかもしれない。



多くの人が”社会的ステータス”ばかりに目が行って
家族や”人間”というものに
目が行ってなかったのかと思います。
その結果が”今”なのかと。
その結果が世間にあふれる不満や不幸なのかと。



ただ一部の日本人は
”社会的ステータス”ではなく
”人間性”や”人としての尊厳”を大事にして、
生きてきている人もいる。
そういう方たちは幸せを見つけて、
楽しく生きていると思う。



こうやって
二極化されていくんじゃないかと思ったりもする。
幸せに生きる人と、
自ら不幸になって生きる人。




わたしの感覚でいうと数的には
『自ら不幸になって生きる人』が
多いと思う。圧倒的に。

わたしも含めて、だ。



このまま神経症的劣等感を放っておいて、
後世にも残していってしまったら、
日本はもっと息苦しい国になってしまう。
生きにくい場所になっちゃう気がするんだよね。



なので、「神経症的劣等感」を自覚した人から
考え方や感じ方を変えていかないと。
自分の想像の世界から出ないと。
現実見ていこう、意外と世界は優しかったりするもんだ。



すぐには減らないだろうし、
変わらないと思うけど・・・
神経症的劣等感を持つ人が減って、
身近な幸せを大事にできる人が増えたら、
生きやすい国になるのではないでしょうか。
それこそアドラーが言っていた
「共同体感覚」、横の繋がりが大事になる気がする



あくまで狭い世界で生きている
34歳の考えだけどね・・w



マイが思うのは、
私自身がアダルトチルドレンで
神経症的劣等感がめちゃくちゃ強いので、
これをちょっとでも回復させて、
回復の過程をブログで発信して、
己の生を全うして死んでいこうと思います。

この世界が少しでも優しい世界になることを祈ってね。



他人は変えられない。
だから自分と向き合って
自分を変えていかないと。
そのためにも、日々癒やしと回復。
学びと実践、他人に徹底的に期待しない。
やっていきます。




長くなりましたが、
今日の考察はここまで!
あー書き出せてすっきりした!
ありがとうございました!


written by マイ(@iamxxxgv
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