どんなに文明が進んでも「人の手から人の手へ」ってのは変わらないんだろうな

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これからいろんな技術が発達して、
もっとラクに生きれるようになるかもしれない。
ロボットが市民の生活を助けたり、
AIが仕事のサポートをしてくれたり。



いずれワープ技術とかもできるのかもだけど、
「人の手から人の手」みたいなところは
変わらないのだろうなぁと思うのです。









例えば郵便とか、配達とか、
物を買って受け取るときとか。
結局人の手から人の手へ渡すという流れ
ずっと変わらないものなのではないかと思ってます。



確かにロボットが代行する可能性もあるでしょう。
レジ係をロボットがしたり、
配達自体をロボットがやったりするでしょう。
でも全部が全部ってわけではないだろうよ。
どこかしらで「人間の人の手」が加わってると思うの。



それこそ手紙って誰かに宛てるのであれば、
必ず人が書いているだろうし、
切手貼ったりするだろうし。



コンビニのお弁当だって
人が作るわけじゃん。
盛り付けとかしたりさ、
出荷したりさ、並べたりさ。
(この辺はロボットが取って代わるかもだけど)



化粧品とか洗剤とかだって・・・
成分を研究してより良いものを作るのって
やっぱりその道の専門の”人”じゃない。



人が物を作って、人に渡っていく。
どこまでも生身の人間から
生身の人間へつながっていくのは
変わりない。きっとそうだと思うのです。







なんでこんなことを急に思ったかっていうとね、
この本を読んだのがきっかけだったの。

『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)』



ちょっと興味が湧いたので読んだんですけど、
なかなか自分の中ではうまく飲み込めなくて(笑)
だって自分は「脳の錯覚で生きてる」って言うんだもの。
ちょっと寂しい感じがするじゃない、
真実がそうだったとしてもね・・。
わたしの中での「ココロ」と「脳」の捉え方とは
違うかな~と感じた本ではあります。



この本にもあったと思うし、
その後よく見かけたんですけど、
「人間がワープする場合どうすればできるか」、
みたいなのを見つけたのね。




やり方としては、
人間を原子レベルで分解して送信先に送り、
送られた先で原子レベルから再構築するってもの。




確かにこれならできそうだけど・・
道徳的にどうなの?ってのはあるよね。



生きているとは言え、
一度バラバラになるわけじゃない。
そして再構築されて・・・
それは本当に”その人”なのか?という疑問もでる。
一度”その人”は死んで、”別の人”になっているのでは?、と。



いずれね、人間の脳の解明が進んで、
「原子レベルで分解してもなんら道徳的に問題なし」という
反証が出てくるかもしれない。
人間ってこうだ、魂は、死とは、ココロとは、意志とは。
それぞれの専門の人が分析して出てくるんじゃないかと思う。



だけど、少なくともわたしが生きている間は
人間のワープも、物質のワープも出てこないだろう。

アマゾンで注文したものは、
倉庫の人が梱包し、
配送業者の方へ渡って、
ドライバーさんからわたしが受け取る。
だからやっぱり「人の手から人の手へ」ってなるだろうな



こういう経緯があって考えてました。
考察のきっかけはどこにでもあるね。





結局”人”なんだよね。
生きている人間、わたしたち。
もっと大事にしていいと思う。



なんだろうなぁ・・
技術の発展や自然を守るのも大事だけど、
人間の尊厳・自由・健康かつ幸せで生きることが
もっと重点的に大切になればいいな・・・。




そんなことを思う35歳の5月です。
ああ考察楽しかった✩



では今日はここまでです!
ありがとうございました!



written by マイ(@iamxxxgv
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