ふと気がついた。
わたしはわたしを監視している。
もちろん体調が心配だとかそういうのもあるけど、
どっちかって言うとかなり脅迫的な感じ。
お給料が入ってくるか、
お金が減っていないか、
物が減っていないか、
食べるものが減っていないか、
そんなことばかり。
なんかもう情けなくて悲しくて
正直笑うしかねぇw
*
毎月毎月そうなのですが、
特にお給料日が近くなると、
だんだんと「入ってくるだろうなぁ」って
銀行の口座を無駄に確認します。
手帳を開いて「あと何日かな」って
数えたりします。
ひどいときは1日に何回も。
何回数えたってカレンダーみたって、
お給料が入る日は決まっているし、
何度数えたって日数が減るわけでもない。
ヘイストがかかって時間が早くなるわけでもない。
もう未来にお給料が入ることが確定しているのに、
眼の前の今を楽しむことをせず、
その日に執着して、その日までを行動を監視して、
「まだかなまだかな」って言ってるんです。
控えめに言っても、頭おかしい(笑)
どれだけ自分がお金に執着しているかが
よ~くよ~くわかる気がする。
お金があればあれも買える、
これも買える、安心できる。
でもそれって一時だったりする。
食材とか備品とか買って、
入ったお給料がなくなると、
わたしはまた不安になるんです。
「なくなった・・・」って。
そして次のお給料日に執着して、
ず~~~~~~っと監視をするんです。
この行為がほぼ無意識で行われているから
怖いったらないです。まじで。
脳みそのストレージの無駄遣いにもほどがある。
*
そして更に監視していることがある。
お金の流れ、減ることへの不安。
モノの流れ、なくなることの不安、です。
お財布の中身がさみしくなること。
お金が減ること。
冷蔵庫の中身が減ること。
食材が減ること。
お茶が減ること。
コーヒーが減ること。
”減ることはだめ”という基準のもと、
自分を監視しているんです。
この地球のルールに反した基準を持ってしまったのは、
幼少期の生活がきっかけ。
家の食材や備品が消耗してなくなると、
どうしたって親に頼まなきゃいけないじゃないですか。
「お母さん、シャンプーがもうないんだけd・・・」
「なんでもうないのよ!!もっと大事に使いなさいよ!!うちはお金がないんだからね!!!」
って怒鳴られたんです。すんごい剣幕で。
小学生に上がったばっかりの子どもにとっては
しっかりトラウマになるものでした。
それ以来「使うのはだめ、減るのはだめ、なくなるのはだめ」という
基準が自分の中に根付いてしまったんです・・。
この地球で生きている限り、消費活動は一生続くし、
形あるものはいつか朽ち果てるのに、
それに対して「だめ、悪い」ってジャッジしてました。
おとなになってもこれが続いてて、
無くなる前にいっぱい買い溜めたり、
尋常じゃないほど買い込んだりしていたので、
家計だってすぐ崩壊しました。
わたしは長らくこの負のループに
しっかりハマったままでした・・。
*
こうやって自分を罰するために
監視をすることを辞めたい。
すぐに完全に辞められなくても、
徐々にでも緩めていきたい。
だってこんな監視活動、いらないもの。
なんならこの地球で生きることを
否定しているようなものだ。
このお金とモノへの執着・監視をやめる。
2025年下半期の目標です。
監視してるから、
心も体もガッチガチに緊張しています。
正直しんどい。
特に歯ぎしりがきつくて、
歯ぎしりしすぎて顎がつかれているし、
歯も痛いです。
肩こりだってしてるし、
慢性的に頭痛と仲良しこよしです。
常に体が重いです。
ずっしりと、、常に足かせがかかっているような、
何かを背負わされているような感覚です。
本来体ってもっと軽いんだって。
だったらこの重荷をおろしたい。
軽い体を感じてみたいです。
それにいろんなことも経験してみたい。
もっと軽やかに生きていたい。
今の最大の願いはこれかなぁ。
ちょっとずつやっていきます。
では今日はこのへんで。
ありがとうございました!
written by マイ(@iamxxxgv)
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