自分が如何に”見栄を張ること”ばかりに意識が行っていたかを痛感した話

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お散歩してきました。
今日は仕事が休みだったし、
お天気もよかったので。
(ただ風がくそほど強かったw)



北海道の4月、まだ寒い時があるけれど、
冬用のコートはもういらないし、
かわいらしいお花も咲き始めている。



ぼんやり景色を眺めながら思った。
わたしがいかに”見栄を張ること”に
意識が行ってしまっていたのか。








外に咲くお花たちのことなんて
見る余裕もなかった。
空が透き通るような青になっていることも
気づこうともしなかった。



周りの自然環境にも気づかず、
自分のカラダとメンタルがやられていることも無視し、
ず~~~~っと外面ばかり気にしていたのだ。
見栄を張って、周りにマウントを取って
生きていました・・・。
自分の母親と同じような生き方をしてた。



とにかく周りよりも
一回りも二回りも突き抜けていれば、
自然に尊敬されるし、
自然と仕事ができるし、
自然と大量のお金も稼げるって思ってた。
親の生き方をみてそう思ってました。



だけどさ・・・
外面だけキレイにしても
中身が干からびた状態でカスッカスのままでは、
なーーーんの意味もないの。

自信がないのが見透かされているの。
自信がないから見栄を張ってることが
周りにばれているから人も寄り付かない。
人を利用するずるいやつばかり寄ってくる。
常に緊張していてココロが休まる暇もなかった。



そんで仕事も結局できないし、
結果も出ないし、
当然稼ぎが増えるわけもない。
人付き合いも使い捨てでぽいってされる。



で、うつ病になり、メニエール病になり、
いよいよぶっ倒れて・・・
意識を変えることを強制されるわけだ。








いや正直。
就職(23歳の時)して33歳まで、
少なくとも10年間は
子どもの頃の価値観で生きてた。




だからね、
「うつ病になれば大事にしてもらえる」、
「メニエール病なら大事にしてもらえる」って
どこかで思ってました。



うん、一人でいるのが好きだけど、
誰かに大事にしてほしかった。
大事にされたかった。

親がしてくれなかったから、
誰かに大事に、特別扱いしてもらいたかった。



こんな甘えが残ったクソガキが
社会の中で上手にやっていけるわけないのよw

そりゃ強制シャットダウンかかって
ぶっ倒れて当然w



ここでちゃんと逃げ出さず、
いろんな間違いを犯しながらも
自分と向き合う決心をして、
いろいろやったことは偉い。
ここから方向転換できたから。



なにより見栄を張るのを辞めた途端、
カラダが軽くなったよねw
動きやすくなったし。
無理に他人に合わせることもなくなった。
変に他人と比較することもなくなった。




「自分がどう思うか」
「自分がどう感じるか」
「自分はどれが一番好きか」



自分軸になれたことが本当にウレシイ。
ずっと他人と比べて見栄張って背伸びしてたから。



少しずつ自分軸を取り戻したら・・
道端に咲くお花に気づけるようになったし、
空が青いこと、星がきれいなことにも
気づけるようになったのだ。







今日もたくさんのお花に会いました。
名前も知らない花が多いけど・・
チューリップにパンジー、
桜も満開になっていた。
みんなかわいらしく咲いていました。



上を見れば白いお月様が見えて、
空はきれいな青だった。



「ああ、きれいだなー」って思いました。
「昔はこんなふうに思う余裕もなかったなー」、
だいぶ自分が”本当に”したいように生きてるなー」、と。



別に他人にどう思われようとどうでもいい。
わたしはわたしのしたいように生きたい。
そこに見栄はいらない。権力もレッテルもいらない。
大きなお金もいらない、楽しく生きていける範囲で良い。



今までの価値観に縛られなくて良い。
自分が求めるように生きよう。
自分が自分の責任を持って。



そんなことを思った2023年4月下旬のお散歩。
良い方向に向かっている気がする。
ゴールなんてわからんけどw



では今日はこの辺で。
ありがとうございました!



written by マイ(@iamxxxgv
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