自分の存在は無価値だと思ってた。
いや思い込まされてた。
「いらない存在」だって。
「いらない存在」と思い込むことで
生きながらえようとしていた。
親に捨てられないために。
「いらない存在なのに育てていただいてすみません」。
こんな思いで親とともに過ごしてきた。
生きるために、
だいぶしんどい思い込みをしてきた。
その思い込みを強固にするために、
わたしは「自己否定」もし続けてきた。
「お前には〇〇がない」と否定することで、
自分の存在をより無意味なものと
思い込むようにしていました。
*

親から受けた言動、
喧嘩の際に言われた言葉、
いろんなことから感じたこと、
「ああ、母にとってわたしはいらない子なんだ」。
少なくとも3歳の時点で薄々感じていたでしょう。
感じて自分の感情を抑え込もうとしたでしょう。
でも愛されようとも抵抗したはず。
アピールしたはず、大泣きしたはず。わがままも言ったはず。
それが全部効かなかった。
抵抗したらボコボコに怒られたんだろう。
トラウマになるくらいには。
だったら生きていくためにも
「いらない子」として
自分を否定して行くほうが
安全かもしれない、
そう結論付けたんだと思います。
そして母が望む「いらない子」であるために、
かつ母が望む「いい子」であるために、
いろーーーんなことを我慢して、
いろーーーーんな思い込みを積み重ねて、
母の望む子供でいようとしたんです。
*
まず変にでしゃばらないこと。
母より目立たないこと。
次に世間から見ても評価される子であること。
つまり「いい子」でいること。
母より目立たないために、
とにかく「いらない子」でいようと
自分を否定しました。
「お前にはできない」
「お前には似合わない」
「お前は存在してはいけない」
「お前は本来生きていてはいけない」
「お前は生かしてもらえているだけありがたいと思え」
こんな言葉を自分で自分に投げかけてきました。
そしてできないことにとにかく目をつけて
「ほーーらできないじゃん、ゴミ」とか、
ないもに目をつけて
「お前はこんなものも手に入れられないんだな、カス」とか、
とにかく自己否定の種を見つけては
自分のことを否定し続けました。
自分を否定しないと、生きていけないから。
そうしないとお母さんに怒られるから。
最終的には家から追い出されるから。
自分の命が危ういから。
とにかく否定して、
そのうえでより高みを目指すよう、
子どもの自分が自分なりに考えた
生き抜くための戦略。
なんとも・・
しんどい決断したなぁと思います。
*
とにかく自己否定するための種を見つけては
否定していました。自分の存在を。
手元に無いものばっかり目が行ったり、
足りないものに目が行っては
「なんで足りないんだ」って自分を否定して。
それもこれも母親のものとで生き抜くためだったんですね。
よく頑張ったなぁ・・・
こんなしんどい決断、よくしたと思います。
あんな小さい子供がね。
理由がわかったら、
「自己否定する」ことに対して
ジャッジをするのはどうなんだって
思ったんです。
だって生きるために必死だったやん?
それも自分を殺して、
大好きな母親のためにやっていたこと。
確かにしんどかったけど、
それをした根底の思いは「愛」だったりするわけじゃん?
母親への愛、そして自分を守ろうとした愛。
愛、というとちょっと大げさかもだけど、
人間の根底にある愛、慈しみ的な思い。
よくよく考えたらそこにつながっている。
だからこの行為を責めるのは違う。
「頑張ったね」って言葉が適切かと、思ったりする。
*
*
さて、ここまでで
自己否定する理由がわかったところで、
ここからどうするか。
まぁ簡単なところは「ある」に目を向けることでしょう。
家がある、空気がある、体がある。
目が見えること、生きていること、
ここに自分がいること。
たくさんのピカチュウたちがいること。
ここまで生きてきたという実績があること。
そういう自分が持っているものに
もっと目を向けてケアしていきます。
あとは自分の感情を否定しないことかなー
今は「寂しい」という感情が出ているので
それを否定せず受け入れていきたい所存。
大丈夫、これまでの行動を否定したりしない。
頑張ってくれて、ありがとう。
では、今日はこのへんで。
ありがとうございました!
written by マイ(@iamxxxgv)
※SNSもフォローお願いします!
X(旧Twitter):@iamxxxgv
Instagram:pika.251988.chu
Blue Sky:@iamxxxgv.bsky.social

関連記事!