アラサーになって
ふと気づいたことがあります。
何と言うか
許せる許容範囲が広がったかな、
というイメージです。
ちょっとした
アクシデントがあっても
「まあそんなもんか」と
思えるようになりましたし、
何かあっても
「この暇な時間は
ゲームしよう、
本を読もう、
喫茶店でちょっとのんびりしよう」などと
別のことに目を向けられるように
なったかなと思います。
今回許容範囲が広がった、
アクシデントも楽しんだもん勝ちだ、
という点について書いていきます。
ちょっとした遅延もまあいいか
簡単なイメージで言うと
例えば電車の遅延。
日本の電車は
本当に時刻通りに来てくれるので
大変助かるのですが、
天候の影響だったり、
何か事故だったり、
整備の問題だったり、
様々な理由で電車の発車や到着が
遅れることがありますよね。
2年前の管理人だったら
ちょっとした遅延でも
「はーふざけんな!早くつけよ」と
怒り狂ってました。
最悪な乗客ですよね・・・
それが今だと
「電車遅延してるんだ、
発車まで時間はあるから
喫茶店でも入ろうか」
「到着遅れるのか。
したらゲームして待ってるか」というように
遅延という点について
集中的に怒りをぶつけるのではなく
その持て余す時間を
どう消費するかという点について
考えるようになりました。
何と言うか
こういうちょっとしたアクシデントで
できた時間って
神様や宇宙が
「ちょっと休憩しよう」という感じで
与えてくれた時間なのかなーって
都合のいいように解釈をしています。
そこでなかなか進めていなかった
ゲームを進めてみたり、
本を持っている時であれば
それを読み進めたり、
体調はどうも思わしくない時であれば
寝てみたり・・・・
そういう風にちょっとできた時間を
有効に使うようになりました。
これは歳を重ねたせいなのか
それとも生きやすさを求めて
様々な本やネットの情報を見て
考え方を変えたからなのか。
正直どっちなのか判断がつかないです・・・・
まとめ;どうとらえるか、それで世界は変わる
突然やってきたアクシデントをどう捉えるか、
その問題にばかり注目してしまうと
怒りだとか、わだかまりだとか、
それと負の感情が出てきやすいです。
でもそのアクシデントを
客観的に見てみると
それが発生したことによって
時間に余裕が生まれて
別のことができる、
それで時間を潰せる、
そんなふうに考えを
切り替えることができるようになります。
電車の遅延だってそう。
電車が来るまでの間
本を読み進めておこうとか、
あとぼーっとして
頭をスッキリさせようとか
そんな風に思えるようになったら
こっちのもんだと思います。
アクシデントをどう捉えるか、
どうせなら楽しく捉えた方がいいと思うんです。
ちょっと抽象的で分かりにくいかもしれませんが
ぜひお試しいただければと思います。
関連記事!